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東京高等裁判所 昭和39年(く)86号 決定 1964年6月23日

少年 K子(昭二二・九・二五生)

主文

本件抗者を棄却する。

理由

本件抗告の理由は、少年本人提出の抗告申立書に記載するとおりであるから、ここに、これを引用するが、その要旨は、少年としては将来真面目になろうと固く決心しているので、在宅保護にして貰いたく、原処分は著しく不当であると、というのである。

そこで、本件記録及び添付の少年調査記録についての、原決定の当否を検討してみる。本件は、少年が、当時静岡市○○町キャバレー「○○」に勤務中、同キャバレーバーテン横○健○(当二一年)と知合い肉体関係を続けているうち、同人から金の融通を頼まれて、同人の歓心を買うため、たまたま友人である被害者方に遊びに行き、同人が家をあけたのに乗じてその所有の現金一万四、〇〇〇円を窃取した、というのであつて、事件そのものとしては、それほど悪質なものとはいえないし、犯行の動機としては、多少の同情をする余地がないわけではない。然し、少年は、九歳のころ、父母が離婚し、父と生別してから、母と祖父母の許で養育され、中学校卒業後、横須賀市内で旅館を経営していた母の姉の許に引取られ、高校、美容学校等の入学試験等に失敗し洋品店の店員となつたが、勤務成績が悪く不良交友を続ける間、友人らと共謀のうえ、少年が主謀者となり、恐喝事件を犯し、昭和三八年七月八日静岡家庭裁判所において試験観察に付された。然るに、少年は、その後もいぜんとして素行は修まらず、家庭にとどまることを嫌い、静岡市内の不健全なバー、キャバレー等でホステスしとて働き、その間異性との不純交遊を始めるにいたつた。この間、保護者の方では、少年を野放しにして、その保護については全然顧みるところがなく、右恐喝事件の終局審判においては、少年が家庭に在つて比較的安定した生活を続けている旨虚偽の供述をする始末で、右事件は、昭和三九年二月一九日不処分となつて終つたのである。ところで、当時少年は前記の如く年齢を詐り静岡市内のキャバレー「○○」にホステスとして住込み、同キャバレーのバーテン横○健○と肉体関係を結び、同人の子供を懐妊し、同人に借財のあることを知り、その歓心を買うため、本件の非行を犯したのである。この間、少年の就業先の環境が不健全であつたのは勿論、少年の生活態度も又甚だしく不健康なものであつたことは、いうまでもない。そして、右妊娠の事実も保護者には秘密にしており、保護者の方でも、少年の生活、行動には極めて無関心であつて、親子親愛の情も殆んど認められないのが現状である。ところで、少年はその性格の面においても、鑑別結果通知書にも明らかなとおり、不寛容、かつ自己顕示欲が強く、多くの問題点を持つていて、その生活環境を改善しない限り将来に、更に不良化を強め、非行を重ねる危険も濃厚である。然るに、少年の母に保護能力のないことは前記のとおりであるばかりでなく、母の異性関係等は少年の保護育成に対しては、かえつて負因となつていて、在宅保護をするについては、少年の家庭環境には欠陥があり、少年が将来の結婚の相手と考えている横○健○との関係も、少年の年齢及び同人らの従来の生活態度を考えるとき、やはり原決定のいうとおり社会の正常な方式に則つて整理することが、少年の将来のために必要であると思料される。少年は、この点について、原決定が少年の権利に不当に介入するようにいうが、それは誤解である。少年が現在妊娠中で、胎児の将来にも苦慮していることをも併せ考え、少年の更生のための保護措置について関係当局者は腐心し、少年の社会復帰の万全を期するため、原家庭裁判所としては、医療少年院送致の処分を選んだのであつて、当裁判所としても、この措置は充分首肯できるものと考えるのであり、原処分が著しく不当なものとは、とうてい考えられないのである。

以上の次第であるから、少年法三三条一項、少年審判規則五〇条に則り本件抗告を棄却することととし主文のとおり決定する。

(裁判長判事 三宅富士郎 判事 寺内冬樹 判事 谷口正孝)

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